2009年03月30日

ジルとケルベロス


 ゲームオーバー寸前のジルさん。
 バイオ1のケルベロスは強い、というか嫌だったなぁ…。奴に何度喰われたか知らん。ケルベロスはゾンビと比した時のスピード的コントラストと殺した後の動物愛護的罪悪感から(ゾンビを殺しても罪悪感を感じないのはなぜなのだろう)バイオのモンスターとして欠かせないキャラクターだが、バイオ5でもやはり健在なのだろうか。もしミニチュアダックスとかパピヨンのゾンビが出てきたら攻撃できる自信がない。ちなみにバイオではゲーム上の都合からケルベロスは雑魚扱いだが、実際に犬に襲われたら武装していても人間に為す術はないであろうことは漫画「マスターキートン」などでも描かれている通りかと思う。

2009年03月20日

いきなり玉見せ


<R-18 玉注意>

 確かドンキの電池売り場を物色している時だったと思うが、いきなり尻見せがあるならいきなり玉見せもあるのではないか、という天啓に打たれた。思いついたらすぐに実行するのが俺よ、というわけでできあがったのがこの絵である。玉という、男子からも女子からもぞんざいに扱われがちな日陰者に陽を当ててやることも時には必要であろう。

 私は別段玉に思い入れはないが、無ければ無いで困るし、かと言ってあったから何がどうなるというものでもない。そのサイズによって自尊心が得られるならばもう少し扱いも良くなるのだろうが、今のところ玉が大きいのが好きだと言う女子は聞かないし、特別でかくてもペチペチ当たって鬱陶しいだけだろう。そのくせ外傷には異常に弱く、玉攻撃は大抵の格闘技で禁忌とされている。この絵を描いている時にもさんざん思ったが、精子の保存器官としてもっと賢い形態はなかったのだろうか。もしこの世を神様が造ったのだとしたら、そいつは造形センスが無さすぎる。数学や宇宙物理学に傾倒している人々がこの世界の合理性を賛美するのを聞くことがままあるが、彼らは金玉のことをどう思っているのだろうか。

2009年03月02日

初音ミク嘘PV「じゃあ、それで」嘘コンテ


 なんかコンテとか描きたくなったので描いたのだけど、描いている時はまさかあんなことになろうとは露程も思わず、合掌するのみ。

 どうでもいいことだが、私が最も好きなPVは電気グルーヴのノモビデオである。この作品に収録されているPVは、「ピエール瀧の体操30歳」を筆頭にどれも美しいまでにバカだが、しかし最も優れているのはメニュー画面である。そのBGMに延々流されているのは、剣道の試合会場の音をそのまま録音しただけのものである。この音が素晴らしい。素晴らしく真剣で、且つバカである。そのバカさとは勿論剣道をしている人々に向けたものではなく、剣道の試合の音をファミコン風に意匠された画面に合わせ、それをPVのメニューのバックグラウンドに選択した電気グルーヴのセンスに向けたものである。このセンスは映画「パルプ・フィクション」で八百長の裏取引のシーンにアル・グリーンの「Let's Stay Together」を合わせたタランティーノにも通じるものがある。両者とも優れたミックスセンスの持ち主だが、やはり美を生む人々はバカばかりだ。自分も斯くありたいとは思うが、バカは自ずからバカなのであり、意識してそうなるものではない。ガラス箱に入ったバナナを見つめる猿のように、ただ黙って自分のバカさと向き合うほかないのだろう。

 因みにコンテのフォーマットと書き方はこちら↓を参考にさせて頂きました。
 http://www.kyotoanimation.co.jp/haruhi/info/ed_dance.html

2008年12月07日

陰毛


 女子の陰毛は自然なほうが良い。はみ出すことを恐れるあまりキッチキチに手入れしている女子は珍しくないが、そのような陰毛を見るたび残念な気分になる。中でも整然性を求めるあまり幾何学の領域へと突入し、所謂モヒカンヘアーになってしまっている陰毛を見ると、「ヒャッハー!このチンコは逃がさねェー!」的な世紀末覇者的セックスを想像して、思わず種籾を入れた袋を隠したくなってしまう。

 女子の豊かに生えた陰毛や控えめにへその周りを飾る毛は可愛いものだし、へそピアスなどという無意味で下品な装飾具を着けるくらいならへそ毛を生やせと推奨して回りたいところだ。特に陰毛とへそ毛が繋がっていたりすると、これは一種の聖印のようなもので、手の甲に浮かび上がる痣や胸に穿たれた七つの傷跡などよりも貴い価値を持つだろう。そのような貴いものが空疎なエチケットマナーによって消し去られてしまうことは、荒涼たる未来に備えねばならない人類にとって大きな損失と言わざるを得ない。刃のついた三輪バギーで女子の下腹部を荒らされることは、男子たる者、剛毛フェチという心ない烙印を押されることになろうとも防いでいかねばならないのである。

2008年09月30日

ソリッドステート初音ミク


 以前初音ミクフィギュアを3Dで作って動かそうと思いドラフトを描いていたらねんどろいどシリーズから遙かに可愛いフィギュアが発売されてしまいすっかりやる気をなくして放置していたものを手入れしてうp。ねんどろいどを3D化して踊らせてる人なんかもいるし、げに恐ろしきはネタ被りである。

 何らかの創作を行おうとする時、人々が最も恐れるのはネタ被りだろう。「うん、ごめん、それ、もうやってる人いるから」制作に傾けた熱量が多いほどネタ被りに気付いた時の痩せ具合は酷くなる。肋の浮いた体をカクカクさせながら「じゃ、じゃ俺は、ももっとククオリテーの高いやつをううpするぜ…!」と暗い執念を燃やして負けの決まった戦に身を捧ぐのも一興ではあるが、そのような姿は傍目には痛々しいとしか映らない。もっとも世には人気作に意図的に被せたり、被ることを良しとするような界隈も数多いわけだけど、そのような界隈とどのようにお付合いしていくべきかは、もの作りに携わる立場にとって晩ご飯の献立を考える主婦のように悩ましい問題だろう。

2008年09月27日

妊娠する


 妊娠すると方々から子供のオモチャなんかを贈られることが多いわけですが、産まれるまでは使い道ないし、かといってしまっておく場所もないし、そんなら子供に遊ばせる前にまず親が…とか実の親がやってたらドン引きだよなぁ…。

 ちなみにこの絵は前回の絵と同じ人物という脳内設定で描き進めた。この絵では乳限界を超えているが、妊娠という条件が設定された場合はその上限に補正を加えることは許容されるような気がしないでもない。またさらに言うと、こっちの絵は同一人物の中学生時代ということにしてある。どうでもいいですね。

2008年09月01日

痩せてるくせにボイン


 以前ある地方の政治家の演説に、応援として小泉純一郎が列席しているのを見たことがあったが、主役である当の政治家よりも小泉の応援演説のほうが遙かに盛り上がっていた。その場において小泉は引き立て役であったはずだが、小泉演説の盛り上がりによって、相対的に主役である当の政治家のイメージは希薄化してしまう。しかし党そのものの人気は上がり、その人気のうちいくばくかは主役の政治家にも分配される。主役が脇役に食われることは主役にとっては悲劇だが、全体にとって、あるいは全体を見る者にとって、それは必ずしも悲劇となるわけではない。このことは、女性の顔と乳の関係においても同様である。

 俗に言う痩せてるくせにボインという体型だが、最近このような体型の女子が増えているような気がしてならない。この体型に似合うのはやはり地味めな顔だと思うのだが、残念なことに乳のでかい女子ほどメイクを濃くしたがるものだ。顔は乳の添え物だと言う気はないが、小泉純一郎のように、引き立ってしまうものはどうしたところで引き立ってしまうものだ。映画「ラヂオの時間」のように全てのキャラクターにバランス良くスポットライトを当てることができればいいのだが、そのような完成度の高い本と演出は万人に与えられるものではない。キャラの強すぎる脇役を主役の下三寸に抱える女子の悩みはいかばかりか。

 ちなみにこの絵では乳限界、所謂ボイニカル・リミットに挑んでみた。巨乳を描いている時、これ以上でかく描くのはナシだな、と感じる瞬間がある。その感覚閾が乳限界だ。乳限界は茹で蛙と同じで、少しずつ刺激を大きくしていくと閾値を過ぎてもそれに気付かないことがある。実際今回も、乳の大きさについて何度も検討を繰り返すことになった。また、乳限界は体調や年齢等によって変化するので、一度測定して標準の範囲に収まったとしても安心してはいけない。街ですれ違った一人の女性が、何気なく借りた一本のAVが、新幹線の車内から見えた山の形が、いつ乳限界を揺さぶるかは誰にもわからないのである。

2008年08月15日

喪失と喪失体験

 今どうなっているかは知らないが、周囲の人々の子供時代を聞くと、どんな田舎にも一つや二つは遊園地やそれに類する施設があったようだ。

 私が育った場所もまずまずの田舎だったが、街から十五分ほど車で走った山間に、こぢんまりとした遊園地があった。他県から人が足を運ぶような知名度はなく、地元の人間がたまのレジャーで訪れる程度のものだった。遊具の数は少なく、これといって目新しいものはなく、一回転ループするジェットコースターが一応目玉ということになっていたが、私の子供時代でさえそんなものは時代遅れだった。

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