2008年09月30日

ソリッドステート初音ミク


 以前初音ミクフィギュアを3Dで作って動かそうと思いドラフトを描いていたらねんどろいどシリーズから遙かに可愛いフィギュアが発売されてしまいすっかりやる気をなくして放置していたものを手入れしてうp。ねんどろいどを3D化して踊らせてる人なんかもいるし、げに恐ろしきはネタ被りである。

 何らかの創作を行おうとする時、人々が最も恐れるのはネタ被りだろう。「うん、ごめん、それ、もうやってる人いるから」制作に傾けた熱量が多いほどネタ被りに気付いた時の痩せ具合は酷くなる。肋の浮いた体をカクカクさせながら「じゃ、じゃ俺は、ももっとククオリテーの高いやつをううpするぜ…!」と暗い執念を燃やして負けの決まった戦に身を捧ぐのも一興ではあるが、そのような姿は傍目には痛々しいとしか映らない。もっとも世には人気作に意図的に被せたり、被ることを良しとするような界隈も数多いわけだけど、そのような界隈とどのようにお付合いしていくべきかは、もの作りに携わる立場にとって晩ご飯の献立を考える主婦のように悩ましい問題だろう。

2008年09月27日

妊娠する


 妊娠すると方々から子供のオモチャなんかを贈られることが多いわけですが、産まれるまでは使い道ないし、かといってしまっておく場所もないし、そんなら子供に遊ばせる前にまず親が…とか実の親がやってたらドン引きだよなぁ…。

 ちなみにこの絵は前回の絵と同じ人物という脳内設定で描き進めた。この絵では乳限界を超えているが、妊娠という条件が設定された場合はその上限に補正を加えることは許容されるような気がしないでもない。またさらに言うと、こっちの絵は同一人物の中学生時代ということにしてある。どうでもいいですね。

2008年09月01日

痩せてるくせにボイン


 以前ある地方の政治家の演説に、応援として小泉純一郎が列席しているのを見たことがあったが、主役である当の政治家よりも小泉の応援演説のほうが遙かに盛り上がっていた。その場において小泉は引き立て役であったはずだが、小泉演説の盛り上がりによって、相対的に主役である当の政治家のイメージは希薄化してしまう。しかし党そのものの人気は上がり、その人気のうちいくばくかは主役の政治家にも分配される。主役が脇役に食われることは主役にとっては悲劇だが、全体にとって、あるいは全体を見る者にとって、それは必ずしも悲劇となるわけではない。このことは、女性の顔と乳の関係においても同様である。

 俗に言う痩せてるくせにボインという体型だが、最近このような体型の女子が増えているような気がしてならない。この体型に似合うのはやはり地味めな顔だと思うのだが、残念なことに乳のでかい女子ほどメイクを濃くしたがるものだ。顔は乳の添え物だと言う気はないが、小泉純一郎のように、引き立ってしまうものはどうしたところで引き立ってしまうものだ。映画「ラヂオの時間」のように全てのキャラクターにバランス良くスポットライトを当てることができればいいのだが、そのような完成度の高い本と演出は万人に与えられるものではない。キャラの強すぎる脇役を主役の下三寸に抱える女子の悩みはいかばかりか。

 ちなみにこの絵では乳限界、所謂ボイニカル・リミットに挑んでみた。巨乳を描いている時、これ以上でかく描くのはナシだな、と感じる瞬間がある。その感覚閾が乳限界だ。乳限界は茹で蛙と同じで、少しずつ刺激を大きくしていくと閾値を過ぎてもそれに気付かないことがある。実際今回も、乳の大きさについて何度も検討を繰り返すことになった。また、乳限界は体調や年齢等によって変化するので、一度測定して標準の範囲に収まったとしても安心してはいけない。街ですれ違った一人の女性が、何気なく借りた一本のAVが、新幹線の車内から見えた山の形が、いつ乳限界を揺さぶるかは誰にもわからないのである。

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